最後の‘U’は何だろう、という疑問を抱きながらも、昨年のTOF(ハワイ・プナホウ高校との海を越えた遠隔会議)のイメージを抱えつつ、私達25人がTOFUの実行委員として活動をはじめたのは10月、 十月祭が終わり、行事の慌しさが去ったころです。本来は数名の3年生に実行委員会の指揮をとってもらうということでしたが、予定が合わないなどの理由で1年生と2年生のみで特別実行委員会をたちあげました。 昨年のTOFは、女子高創立五十周年の記念行事として、プナホウ高校と「高校というものは女子高であるべきか、共学であるべきか」という議題でテレビ回線を用いてディベートを行いました。担当の馬場先生が実際に現地に赴き、念入りにTOFの目的や具体的な内容を話し合い、また実行委員長でいらした三橋さんを始めとした実行委員の方々のおかげで、初めての試みにもかかわらず素晴らしいプロジェクトが完成しました。 今年もきっと同じような形式なのだろう・・昨年のものをさらに発展させていけたらいいな・・、そう考えていた私達にとって、委員会発足後の馬場先生の発言はかなり衝撃的でした――馬場先生が昨年のTOFプロジェクトの研究発表を、今夏マレーシアで開かれた ASEFという国際的な職員会議で行ったところ、マレーシア・シンガポールといったアジア諸国と、 スウェーデン・イタリアといったヨーロッパ諸国の先生方が大変興味を持たれ、その学習手段を取り入れたいとおっしゃられたそうです。そこで TOFを日本とハワイの生徒の交流の場、というよりもさらに規模を大きく、 アジア諸国とヨーロッパ諸国の生徒の交流の場、また文化学習の場として拡大し、新たにこのプロジェクトTOFUと名付け(プロジェクトの生みの親が日本人であり、 ちょうどTOFに'U'を足せば読み方が、和食に欠かせない豆腐・トーフになることから、スウェーデンの先生が冗談交じりに名づけて下さいました)、半年間をメドに開始しました。 昨年は11月に遠隔会議が全校生徒参加で行われたのに対し、今回は来年の2月に、各国の代表生徒のみ(日本からは私たち実行委員)でプロジェクトの発表をし、 ITを駆使した21世紀にふさわしい行事の一つとして形を残したい、ということで、昨年のTOFのイメージとはだいぶ違うことは確かです。昨年に比べ参加者は少なく、また女子高における規模は縮小させなくてはならないのに対し、プロジェクト自体はさらに国際的な規模に拡大される、という思いがけない事態に対し、私たちはとまどいました。いつどこで何をすればいいのか…話し合うといっても何を話し合えばいいのか…。とりあえず11月に入り、無鉄砲に各国と通信するのではなく、プロジェクトを共に行う相手国に的をしぼりました。日本の相手国は北欧のスウェーデンと、東南アジアのブルネイに決まり、 Eメールで情報交換をはかりました。私達25人は、スウェーデン班とブルネイ班に分かれ、週2~3回集まり、それぞれ2月の発表を目指して活動することになりました。 お互いの文化を何をもとにして比較したらいいか…案としては各国の映画産業について、国を代表する歌手について、学校について、お祭りについてなど私達の世代ならではのものがいくつも飛び出しましたが、最終的には当時タイムリーであった9月11日のニューヨークでのテロに対する見識を比較しようということになりました。 ブルネイはイスラム国家であるため、私たち日本人とは違う宗教観のもとで、テロに対するユニークな考え方があるのではないかと思い、E-MAILを用いて相手国に呼びかけてみたところ、ブルネイでは日本ほどテロについての国民的興味が高くなく、意外と情報を得るのに戸惑ったそうです。 しばらく、テロや平和について私たち11人で話し合ったり、ディベートをしたりし、また港区新橋で開かれた Peace Winds JapanというNGOのクルド人であるスミコ・アミン氏の講演会に参加したりしました。 個人的な体験としての戦争と平和の価値、という題で紛争と隣り合わせで暮らしてきた実体験お話を聞き、 改めて平和というものの必要性、そしていかに平和を手にするのが困難なことか、ということを痛感しました。 年末にかけてブルネイとはE-MAILで話し合いを続け、 テロと平和についてのディスカッションを2月に決行しようということになり、 台本を作ることにしました。 音声が届かなかった場合でもディスカッションがとぎれないようにするためです。 メールの返事がなかなか来ず、また冬休みでこちら側の活動も一時停止してしまったため、思うようにはうまく進みませんでしたが、どうにか議題を決めて、ようやく台本作成を開始したのが2月に入ってからでした。ブルネイの文化について、日本の文化について、ニューヨークテロについて、平和についての4つの議題をかかげましたが、3月9日のセッションまでにテロについての台本が間に合いませんでした。 そして3月9日、期末試験後に大慌てでセッションの準備をし、午後3時、ついにブルネイとネットミーティングの接続を始めました。ブルネイ側の先生と直接電話をし、ブルネイと日本が同時に接続をできるように工夫しました。「HELLO!」ブルネイから第一声が届いたと同時にブルネイの生徒達の画像が画面に映し出されました。私達11人は大興奮で、カメラに向かってひたすらピースサインを送る者あり、 落ち着いて自分の名前を連呼する者あり・・・国をはさんだ連帯感がたまらなくうれしかったです。とりあえず大興奮して自己紹介や挨拶を交わしているうちに、 音声がうまく届かなくなってしまい、時に画像も送られてこなくなってしまいました。そうこうしているとタイムリミットの4時になってしまい・・・せっかく台本を作ったにもかかわらず、ディスカッションは実現しませんでした。今後が続けられるかどうかはわかりませんが、もしまた続けられるのなら、とりあえずしきりに連絡をとりあうことをおすすめします。 少し残念な結果でしたが、得たものも多かったです。ありがとうございました。 |