慶應義塾の建学の理念
慶應義塾の創立者福澤諭吉は、学問を修める過程で、「智徳」とともに「気品」を重視し、社会の先導者にふさわしい人格形成を志しました。福澤が門下生たちにその志を託した「慶應義塾の目的」と呼ばれる一文があります。
「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」
これは慶應義塾の真に目的とするところを最も簡明に言い表した一文として知られています。
明治5年、福澤諭吉は『学問のすゝめ』初編で学問の重要性を説き、「身も独立し家も独立し天下国家も独立すべし」と教えました。この精神は「独立自尊」の四字に要約され、慶應義塾のモットーとなっています。
慶應義塾女子高等学校の教育理念
本校は生徒を細かな校則で型にはめるのではなく、それぞれの個性を尊重しながら、自由な雰囲気の中で共に学ぶ学校です。
慶應義塾は一貫教育を行なっており、大学入試を目的にすることはありません。生徒が自由に学び、一人ひとりの中に眠る優れたものを自らが考え、開発・発育させ、そして自身の生き方・新しい世界を創造してゆく機会や場をつくることが、慶應女子高の教育です。
福澤諭吉が説いた「独立自尊」の精神は、本校の教育の中に脈々と生きています。自分を大切にし、他人の立場と意見を尊重し、自分を愛する気持ちで隣人を愛する人となるよう、知性を磨き情操を育てるのです。
慶應義塾と本校の歴史
安政5年(1858) | 江戸築地鉄砲洲に蘭学塾を開く。福澤塾と呼ばれる。 |
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慶應4年(1868) | 芝新銭座に移り、「慶應義塾」と命名する。 |
明治4年(1871) | 現在の三田山上に移る。 |
明治7年(1874) | 和田塾による初等教育を始める。後に幼稚舎となる。 |
明治23年(1890) | 大学部を設け、文学科・理財科(後の経済学部)・法律科が置かれる。 |
明治31年(1898) | 普通学科を設置し、中等教育を始める。後に普通部となる。 |
昭和22年(1947) | 中等部を設置し、男女共学を始める。 |
昭和23年(1948) | 幼稚舎、男女共学となる。高等学校と志木高等学校を設ける。 |
昭和25年(1950) | 女子高等学校を現在地に設ける。 |
昭和49年(1974) | 女子高等学校の現校舎が完成する。 |
平成2年(1990) | ニューヨーク学院(高等部)を設ける。 |
平成4年(1992) | 湘南藤沢中等部・高等部を設ける。 |
平成12年(2000) | 女子高等学校創立50周年を迎える。 |
平成25年(2013) | 横浜初等部を設ける。 |
平成26年(2014) | 女子高等学校の別館が完成する。 |
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