卒業生の声

                  ※「女子高」という記述はすべて慶應義塾女子高等学校を指します。
                  ※ 経歴は原稿執筆時時点のものです。

佐護絵莉子さん(60回生)

Profile
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科法曹養成専攻(法科大学院)修了。
司法試験合格後、外資系法律事務所に勤務。

佐護絵莉子さん(60回生)

私の経歴の中で、その後の人生に最も影響を与えたのは女子高時代だったと強く感じています。どんな3年間であったか、3つの視点からお伝えします。
ひとつめに、「どんな人たち」と出会ったのか。端的に形容すると、パワフルでエネルギッシュ。それに加えて、フラットな、つまり偏見なくものごとを捉える友達に出会いました。「それって面白い!」と言う子がとても多いのです。ここでいう面白いは、「そんな考え方・表現ができるの、面白い」という、「興味深い」「interesting」の意味です。自分らしさをもっていて、他方で、みんな個性が違ってあたりまえだと思っている友達に出会えました。
ふたつめに、「どんな出来事」が待ち受けていたのか。女子高の生活を語る上で、クラブ活動と学校行事は欠かせません。クラブ活動や行事はどの学校にもあると思いますが、女子高の場合、生徒の自主性の大きさ、取り組みのクオリティの高さが特色です。そこで学べるのは、勉強とは違う頭の使い方、だと思います。そして、物事の段取りを組む力、異なる立場の視点に立って考える力、周りと協力してひとつのものを作り上げ、成果を得るため努力する力が得られます。これらは社会人にも必要とされます。今思い返すと、女子高は社会人に必要な能力の基礎を学べる機会だったのだと強く感じます。
最後に、「どんな学び」があったのか。女子高における勉学で学びも多くありました。内部進学で慶應大学に進めますので、大学受験に特化した勉強はしません。しかし、それこそが私は魅力であると思います。自分の考えを述べる・書く機会がある、大学のような科目をとることができました。「80枚創作」と呼ばれる、一篇の小説を書く課題もありました。自分の稚拙な思考を反省し、友人の鋭い洞察や瑞々しい表現に、心打たれることが多くありました。受験勉強の枠にとらわれない、自分の知性に関する反省や、友人の知性に対する発見と憧れがあったのです。
このような女子高時代が、今の私の根幹を形成しました。大人になった今も、日々反省があり、迷うことも多くありますが、そんな私が仕事・チャレンジをするにあたっては、女子時代のかけがえのない仲間、そして女子高時代で得た学びや失敗が、自分を勇気づけてくれています。(2023年2月)

ページトップへ

鈴木美穂さん(50回生)

Profile
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、2018年まで日本テレビに在籍。報道記者やキャスターなどを歴任。
2008年乳がんに罹患。2016年がん患者や家族などが無料で医療従事者に相談できるセンター「マギーズ東京」をオープンし、同認定NPO法人の共同代表理事に。
一般社団法人日本専門医機構理事、PMDA評議会委員ほか、行政の検討会委員、有識者としての公職多数。
著書に『もしすべてのことに意味があるならーがんがわたしに教えてくれたこと』(ダイヤモンド社、2019)など。

鈴木美穂さん(50回生)

これ以上最高の青春時代はないと思うくらいキラキラと輝いていた慶應女子高校での3年間。 女子高からは、楽しい思い出だけでなく、その後の人生を生きていく上でとても大切な学びや一生もののつながりをもらいました。
生徒の自主性を重んじ、自由で、やりたいことは何でも挑戦できる校風。クラスメイトや部活仲間と力を合わせて全力で取り組む「演劇会」「運動会」「十月祭」という伝統の三大行事。失敗や悔しい思いもたくさんしながら、チームワークの大切さやゼロから企画して作り上げる喜びを教えてもらい、テレビ局での仕事や新たなセンターを立ち上げる際にもとても役立ちました。
24歳の時に乳がんが見つかり、つらい時期がありました。高校時代の友人たちは、あるときは一緒に泣いてくれ、またあるときには笑わせてくれ、あるときには黙ってそばに居て寄り添っていてくれました。何も言わなくても私のことをわかっていてくれる、そういう安心感にどれだけ支えられたことか。その後の活動でも、幾度となく助けてもらって、感謝しています。
コロナ禍で高校時代の同窓会がオンラインで開催されたことをきっかけに、同級生約150人がSNSのグループでつながりました。それぞれの歩んできた道のりが色とりどりで豊かで、何か困ったことがあったらここの仲間に相談したら解決しないことはないのではないかというくらいあらゆる分野の専門家がいます。そして、全く違う道を歩んでいても互いに尊敬、尊重し合って絆が深まっていて、素敵な高校に育ててもらったなと改めて実感しています。
今年母になったばかりの私は、母としての経験豊富な高校時代の友人たちにまたまた相談させてもらったり、お古をもらったり…… 女子高からはもらってばかりなので、これから私にできる恩返しをしていけたらと思います。 (2022年4月)

ページトップへ

首藤繭子さん(44回生)

Profile
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、UBS証券会社にて勤務。フルブライト奨学生として米国スタンフォード大学にてMBA取得後、米系コンサルティング会社の米国本社および日本支社で勤務。2010年から9年間、日産自動車株式会社にて組織開発・経営企画に従事し、2019年10月よりAIを活用した広告デザインのスタートアップの執行役員として経理・財務・人事等コーポレート領域全般を統括。

首藤繭子さん(回生)

卒業してからの25年間で、金融、製造、IT等の業界で働き、アジアと欧米諸国で暮らしてきましたが、大抵どこでも(慶應)女子高出身者との出会いがあり、まるで以前からの友人のように親しい関係を築いています。不思議なことに、女子高出身者は初対面でも似た雰囲気を感じます。 まず、授業だけでなく、部活や行事といった課外活動、進路の選択肢の幅広さは、女子高生に高い自主性をもたらしていると思います。私は、当時外交官を目指していたこともあり、フランス語を選択しました。更に、慶應義塾大学のリソースも活用し、放課後に大学の外国語教育研究センターが提供するフランス語の授業にも通いました。大学時代にフランスで1年間交換留学することが出来たのは、女子高在学中からフランス語に力を入れて勉強する環境が出来たことが大きいです。
また、女子高には生徒が全力で取り組むイベントが多く、多くの生徒に何らかのリーダーを務める機会があります。私は、3年生の時に三大行事の一つである演劇会の実行委員長を務めました。多くの女子高生にとって特別な思い出となる演劇会の企画をリードすることは、相当な精神的・肉体的な負担を感じましたが、やり遂げたことは卒業後の大学生活や社会人生活において大きな自信となりました。
学校生活を通じて、自ら考え、決断を繰り返すことで、個性が育まれた女子高生は本当に多種多様です。多様性を温かく見守り、必要に応じてサポートしてくださるのが女子高の先生方です。女子高の先生は、高い専門性を持って熱心に教えて下さっただけでなく、様々な悩みに気さくに相談に乗ってくださりました。友人達と休み時間に談話室に行って先生と楽しく話をしたのは、かけがえのない思い出です。
私の人生のモットーは、仕事に人生を捧げて出世を目指す「バリキャリ」ではなく、素敵(ブリリアント)な人生を満喫して、人生の一部としてのキャリアもエンジョイする「ブリキャリ」(造語)です。自主性、リーダーシップ、多様性の受け入れ力を持った女子高出身者は、「ブリキャリ」だらけです。多くの「ブリキャリ」に出会わせてくれた女子高に感謝の念で一杯です。女子高出身者が、コロナウィルス禍を始めとする現在の難しい環境をエネルギー持って切り拓いていくと信じています。 (2021年2月)

ページトップへ

米田惠美さん(50回生)

Profile
米田公認会計士事務所代表・一般社団法人n=1理事長。高校時代に社会システムデザインに興味をもち、大学在学中に公認会計士の資格を取得。監査法人勤務を経て、独立。 その後、組織開発・人材開発会社を共同設立し、人材・組織マネジメントの知見を蓄積。地域の現場感を養うべく保育士資格も取得し、在宅診療所の立ち上げにも従事。その後、Jリーグの常勤理事として、官/民/スポーツの連携を推進する社会連携『シャレン!』を立上げるなど、ハンズオンの各種経営改革に従事。 現在はソーシャル、スポーツ、パブリック、ビジネスセクターのリーダー達のパートナーとして挑戦中。

米田惠美さん(50回生)

母は「あなたは女子高に入って変わったわね。そして、人としての軸ができたのね」と、よく口にします。
今でこそ人前に出る機会が増えた私ですが、小学校・中等部時代は決して人前に立つタイプではありませんでした。そんな私が女子高でなぜ変化したのか、その体験を少しお話しできればと思います。
学校生活ではイベント(十月祭、演劇会、運動会など)にとにかく熱中していて、終われば毎回感動して泣いて。そこには挑戦できる機会、自分なりの考えを表現することが許される環境がありました。修学旅行は卒論の取材を兼ねているなど、テーマを自ら設定して仕上げるような取り組みがあり当時は大変でしたが、今思えば考えた先生はすごいなと(笑)自ら考え、行動し、新しい価値を創り上げる喜び、大変なことを楽しいと思えるマインドは、社会に出てからも続いています。
また、個性が豊かな同級生の強みをかけ合わせれば、想像以上のものが生まれるという経験が、頭だけではない多様性の理解につながりました。女子高って怖いんじゃ?という当初の予想をひっくり返し、同調圧力がない所にもびっくり!!多数決をとるようなシーンでも、他人の顔色見て手を上げる子はおらず、一人でご飯食べようが、スカートが長かろうが短かろうが、そんなことは一向に関係ないって感じで、そんな気楽さも大好きでした。
多才な友人、自己決定力と実行力、忍耐力、表現力・言語化力、多様性を活かす力など、得たものをあげればキリがありません。私は女子高のおかげで、どんな環境下でも道を切り拓いていこうという姿勢やエネルギーを得ることが出来たと、心から感謝しています。
これからの時代に必要なのは、答えのない世界で問いをたて、自ら挑戦していける人材といいます。次の時代を担う若者が、この学び舎でかけがえのない豊かな時間を過ごしていかれることを願っています!(2021年1月)

ページトップへ

速水淑子さん(46回生)

Profile
慶應義塾大学法学部卒業後、東京大学農学生命科学研究科修士課程修了。その後、慶應義塾大学法学研究科にてドイツ政治思想史を専攻し、法学博士を取得。現在、横浜市立大学准教授。著書『トーマス・マンの政治思想』(創文社、2015)。共訳書『ヨーロッパ憲法論』(法政大学出版局、2019)。

速水淑子さん(46回生)

慶應女子高に入学してすぐ、体育館に集まった新入生は、目くるめくような光と音、上級生たちの口笛や足踏み、若さを誇るような激しいダンスで歓迎されました。そのとき、これで子供時代が終わって、大人の世界に入っていくのだと感じたのを、いまでもよくおぼえています。 のんびり過ごした中学校の時と比べて、女子高での生活はとても忙しく、オリエンテーション、修学旅行、演劇会、運動会、十月祭(学園祭)と、生徒主体の催しが次から次にやってきました。その合間に部活動、定期試験、実力試験があります。一年を通じて行う生徒会運営と年度末に発行される校内誌の編集も、生徒に任されていました。こうした催しへの参加が、完全に生徒の自主性に委ねられているのも、とても新鮮でした。 勉強に専念したい人、部活動で忙しい人、演劇会になると急に輝く人、いくつもの委員を掛け持ちして頼られる人、目立たない役回りで才能を発揮する人、学外で歌のレッスンに励む人、みなそれぞれのペースで、学校生活を送っていました。忙しい学校生活に疲れたら、授業の合い間に、図書室で本を読んだり、日本庭園を眺めたりすることもできました。いま思い返せば、先生方がどこかで見守ってくれていると感じていたから、いろいろな背伸びもできたのだとわかります。 学年を重ねるにつれて、選択科目が増えていきますが、それが大学の専攻を選ぶ準備にもなります。私の場合、ずっと文学部に行きたいと思っていましたが、三年になってあらためて自分の選んできた科目をみたときに、社会科学の科目ばかりで、本当の関心は政治学にあるのだと気が付きました。授業でレポートや論文を講評される機会があったのも、大学生活で役立ちました。講評のなかには、卒業して数年して、はじめてその重要さがわかったものもあります。課題の資料収集に、大学図書館を利用できるのも魅力でした。 とはいえ、女子高生活で得た一番たいせつなものはと聞かれれば、迷わず友人と答えます。迷いの多い時期を一緒に過ごした友人たちの声をきけば、多少人生がうまくいかなくても、女子高時代のように、もう少しがんばってみようかと思えます。(2016年4月)

ページトップへ

齋藤真奈都さん(53回生)

Profile
慶應義塾大学法学部法律学科卒業、東京大学大学院法学政治学研究科法曹養成専攻修了。司法試験に合格後、現在は稲葉総合法律事務所にて弁護士として勤務。

齋藤真奈都さん(53回生)

入学式のあと、在校生によるオリエンテーションに向かった私を待っていたのは、音楽と上級生の足踏みが鳴り響き、色とりどりのスポットライトがぐるぐると回る体育館でした。熱気あふれる上級生に圧倒されるとともに、これから始まる高校生活に胸が高鳴ったことを今でもよく覚えています。
そうして始まった高校生活は、期待に違わず、エネルギッシュな先輩や同級生に囲まれた本当に楽しいもので、慶應女子高での経験は今も私を支えてくれています。そこで、私が慶應女子高で得た3つのことをご紹介したいと思います。
まず、慶應女子高では、豊富な選択授業や、部活や学校行事、学校外での習い事などそれぞれが好きなことに自発的に取り組むことができる環境が整っており、生徒の個性が尊重されています。そのような環境で過ごすうちに、自然と自分でやりたいことを見つけてチャレンジする姿勢を身につけることができました。
次に、演劇会でキャストや舞台照明に挑戦し、オリエンテーションの実行委員や生徒会の財務委員として活動する中で、失敗をおそれずに挑戦しやり遂げる力を身につけることができました。慶應女子高で一生懸命何かをやり遂げた経験は、私自身が司法試験に挑戦するときにも大きな支えになりましたし、難しい課題に取り組むときに必ず支えとなってくれることと思います。
そして、行事や部活で共に目標に向かって取り組むことを通じて、かけがえのない友達を得ることができました。卒業後、それぞれが違う道に進んでからも、慶應女子高で得た友達は、自分以上に自分の強みや弱みを理解してくれており、何でも相談し合える大切な存在です。
 このような素晴らしい経験をすることができる環境を作り、導いてくださった先生方に深く感謝を申し上げるとともに、たくさんの後輩が慶應女子高で素晴らしい時間を過ごされることを心より祈っています。 (2015年6月)

ページトップへ

田村咲耶さん(49回生)

Profile
慶應義塾大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科修士課程終了。ボストン・コンサルティング・グループ、GEヘルスケア・ジャパン株式会社を経て株式会社MonotaROに入社。2024年1月より株式会社MonotaROの代表執行役社長。 (経歴は2024年1月追記)

田村咲耶さん(49回生)

==================
考えてもなかった卒業式がきた。
だって、昨日の定演後の日がくるなんて考えてなかったから。
そして、卒業式…号泣。
塾歌から涙涙涙。卒業証書でも涙。みんな泣いた。
女子高で過ごした日々…
…長かった
つまらなくてじゃない。あまりに多くのことがあって、私が変わった
から。
3年間なんかじゃない。10年間を過ごした。
塾長は「君たちは知性・理性を体いっぱいに詰め込んで飛び立つ」と
言った。
まさにそんな気分。
多くのことを思い出した。
卒業なんだ。
========================
これは、2001年3月22日の卒業式の日に私が書いた日記です。 「定演」とあるのは、私が3年間打ち込んだオーケストラ部の最後の演奏会のことです。 高校時代3年間の全てを出し切った次の日が卒業式でした。
広島の市立中学から誰一人知り合いがいない中でオズオズと入学したのがその3年前。 私は、ひたすら優等生でいよう、周りからの期待に応えられる子でいようと思うタイプの子で、 正直、テストの成績位しか誇れるものがない子でした。 それが、3年間の女子高の生活を通じ、自分に自信を持てるようになったのが、この日記からも分かります。
卒業後、私は全く予想もしなかった道を歩むことになります。 慶應義塾大学経済学部に進学、女子高時代は英語が大の苦手だったのですが、 一念発起して、交換留学生としてシンガポール国立大学にも1年在籍しました。 開発経済を深く学ぶために、大学院に進学した後、経営コンサルティングファームを経て 今は2児の子育てをしながらGEというグローバル企業で働いています。
後輩の皆さんの多くが、これから、今は想像もつかない道やキャリアを進むのではないかと思います。 どんな環境の中でも、女子高で培った知性と理性が、皆さんの道を切り拓く力になってくれる筈です。 一緒に頑張っていきましょう。(2015年6月)

ページトップへ

井上裕美さん(47回生)

Profile
慶應義塾大学理工学部物理情報工学科卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。現在,日本アイ・ビー・エム株式会社執行役員/日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社代表取締役社長。

井上裕美さん(47回生)

慶應女子高での生活を振り返りますと、本当に自由な校風であったと思います。特に今でも鮮明に覚えているのは,演劇会、運動会、十月祭などの行事です。いずれも学校から与えられるものではなく、その主役は生徒であり、生徒がそれぞれの役割と責任を持って、全力で最後まで作り上げていきました。しかし自分たちだけで抱えきれない悩みがあると、先生方が必ず正しい道へと導いて下さいました。その時々に出せるパワーを最大限に発揮し行事を終えたときは、達成感と感動で涙が止まりませんでした。
慶應女子高では、進みたい道に向かってかなり自由に授業を選択出来たので、理系科目が好きだった私は数学・物理・化学を選択しました。定期試験前になると、先生方に質問するため生徒が長い列を作ります。わからない問題があるとその列に並んだり、友達と知恵を出し合って取り組んだりしたのも懐かしい思い出です。
友人達の多彩な個性に良い刺激を受けながら、自身の個性を活かして全員が同じゴールに向かっていく、これは社会に出てからも大変重要なことであると思います。高校時代に、実はこのような力を自然に身に付けることが出来たのだと社会に出てから強く感じます。先生方が、人生で一番多感な時期にそのような力を培って下さっていたのだと後になって気付き、深く感謝しています。
今でも頻繁に恩師や友人と集まっていますが、何歳になっても学校行事や授業、定期試験での出来事は懐かしい思い出として話はつきません。 これから慶應女子高で学ばれる後輩の皆様が、素敵な時間を過ごされ、それぞれの新しいエピソードを作り上げて、社会へ羽ばたいていかれることを心より願っております。(2020年7月)

ページトップへ

蒔平ゆきさん(51回生)

Profile
リムレット株式会社シニアアソシエイト
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、ゴールドマン・サックス証券株式会社 投資銀行部門にて勤務。その後プロバスケットボールチームチーム、千葉ジェッツの立ち上げに参画。

蒔平ゆきさん(51回生)

中学3年生の10月のこと、慶應女子高の文化祭である十月祭を訪れた私は、慶應女子高生の輝くエネルギーを目の当たりにして、この学校で私も学びたい、そう心に決めました。
入学直後は知人がいなかったこともあり、パワフルな同級生達に圧倒されて不安でいっぱいでしたが、1週間ほどですぐに楽しくなりました。慶應女子高の素敵なところは、多彩な生徒たちがお互いの個性を自然と尊重するところだと思います。何かひとつの軸だけで優劣を決めることがありません。そしてそれぞれのもつエネルギーは強烈で、何かをやりだしたらとどまるところを知りません。
それぞれの豊かな個性を認め合うこと、本気で物事にとことんまで取り組むこと、この力を掛け合わせると全体のパワーは計り知れないものになります。このような環境で部活動や勉強や慶應女子高名物の行事などに打ち込めた日々はとても幸せな経験であり、慶應女子高生の輝きの源泉だと思います。私が今社会に出てからひとつひとつのことに思い切り打ち込めているのも、慶應女子高で培われたものがあってこそのことです。
そして、その恵まれた環境は慶應女子高の先生方の深くて広い愛情によって成り立っています。生徒たちの有り余るエネルギーを決して制限することなく、でもしっかりと導いてくださることによって、私たちはのびのびと3年間を過ごすことができました。
慶應女子高の仲間たちは今でもよく会うかけがえのない存在です。最高の環境で学び、一生ものの最高の仲間たちができたことが、私が慶應女子高に入って良かったと心から思う所以です。そしてこの3年間の経験はその後の人生に大きな影響を与えています。今後も慶應女子高でキラキラした時間を過ごした素敵な後輩たちがたくさん増えることを楽しみにしています。(2013年11月)

ページトップへ

田中雅子さん(35回生)

Profile
田中総研(経営総合コンサルティングファーム)代表
慶應義塾大学法学部卒業。
慶應義塾大学大学院修了(LLM、MBA)。大学院在学中にバブルが崩壊し、窮地に追い込まれた家業をいきなり継ぐことに。 その後、外資系企業に入社して、 1年で部長に昇進。株式会社ファーストリテイリング(ユニクロ)、一部上場企業執行役員、子会社社長を経て、独立。

田中雅子さん(35回生)

私は静岡から、単身、慶應女子高に入学しました。これは父の勧めで「これからの女性は自分の足で立って、自立して生きていかなければならない。それには慶應女子高しかない」というものでした。
とはいえ、田舎から上京した私は不安だらけでした。が、入学初日からその不安は吹き飛ばされたのです。そこには、勉学だけでなく、様々な才能をもった個性豊かな仲間達で溢れていました。皆、目がキラキラとしていました。そして生徒たちを温かく見守る先生方。この仲間や先生方と3年間を過ごせるのかと思うと、胸が高まったのを今でも忘れません。
演劇会では、仲間に推されて主役を演じ、個人賞のみならず、全ての賞をクラスがとってしまいました。まさか自分がそんな人前で・・・と思っていましたが、新しい可能性やチャンスを仲間や先生方が見出してくれました。そして、クラス全員が学校に朝一番のりをして、アイディアを出し合い、創意工夫をしながらベストを目指して創り上げていったのです。誰から言われるわけでなく、自分たちが役割を認識し、自らが動く。その一人一人のパワーは相乗効果を生み出し、今まで味わったことのない素晴らしい経験になりました。
慶應女子高のDNA、それは「独立自尊」の精神。 父は、素晴らしい先生方や仲間とともに、私にこれを体感し、学んでほしかったのだと。そして今、断言できることは、慶應女子高での3年間で培われた経験全てが、私のベースになっているということです。
・自分で感じ、考え、そして実行する「自立力・実行力」
・どんな苦しい状況でも、それを楽しさに変えて乗り越える「強さ」
・仲間を敬い、仲間を認め合う「許容力」
社会の中で、女性としてイキイキとしなやかに生き抜いていくための最大のスキルです。 一人でも多くの後輩に、「慶應女子高を体感」してほしいと思います。そして社会に大きく羽ばたいてくれることを願っています。(2013年4月)

ページトップへ

勝間和代さん(35回生)

Profile
経済評論家、中央大学ビジネススクール客員教授
慶應義塾大学商学部卒業、早稲田大学ファイナンスMBA
当時最年少の19歳で会計士補の資格を取得、大学在学中から監査法人に勤務。
アーサー・アンダーセン、マッキンゼー、JPモルガンを経て独立。

勝間和代さん(35回生)

慶應女子高にはもともと、11歳年上の姉が学んでいました。私が中学受験の時に、慶應中等部とほかにもいくつかの学校に合格して進学先を迷っていたところ、姉が親や私に「とにかく慶應女子高が一番楽しいから」と強く勧めたことが、この学校に入るきっかけになりました。
そして、今、私がさまざまな分野で自由に執筆し、自由に活動できるのは慶應女子高で得た三つの力が土台になっています。
一つめはリーダーシップの機会。現在は、6月に行なう演劇会になっていますが、当時は十月祭の前夜祭として行なわれていたクラス対抗劇で、1年生の時にたまたま、クラスの劇「シンデレラ」の監督役になりました。私は4人兄弟の末っ子で、それまでクラスのリーダーシップをとるようなことには無縁でしたが、それでもいろいろな指示を出して、クラス全員が力を合わせ、シナリオが大成功して、学年でもっともたくさんの拍手をもらったときには、達成感で一杯でした。
二つめは自分の強みへの没頭。当時は「IT」という言葉はありませんでしたが、慶應女子高では受験勉強をしなくていいので、自分の時間はすべてパソコンに充てていました。プログラミングをして、占いを作り、絵を描いて、RPGを作ってと、あまりにもパソコンばかりしているので、定期試験数日前にとうとう、母親からキーボードを隠されたことがありました。
そして三つめは、素敵な仲間との出会い。大学在学中に公認会計士の資格を取ろうとしたときも、慶應女子高の仲間と4人で一緒に商学部に進学し、専門学校にも一緒に通いました。1人では辛い勉強も、仲間となら楽しい時間です。
慶應女子高は有形無形のたくさんの財産をくれました。1人でも多くの後輩が、同じような宝物を慶應女子高で見つけてくれることを願っています。(2012年3月)

ページトップへ

大西利佳子さん(41回生)

Profile
株式会社コトラ 代表取締役(スペシャリスト・マネジメント人材紹介業)
慶應義塾大学経済学部卒業。日本長期信用銀行(後に新生銀行)勤務の後に会社設立。

大西利佳子さん(41回生)

よく人生は良き師との出会いが大切だといいますが、慶應女子高にはたくさんの良き師がいらっしゃいました。
ひとりひとりの先生方には個性があり、自分の専門分野についての自負心がある。そして教えるということを心から楽しみ、生き生きとしている師たちでした。この教科 ではこういった内容を教えるべきという社会的通念にとらわれることなく、のびのびと教える先生方の姿に高校生の私は、「こうやって自分の信じる道を進めばいいん だ」と自己肯定の素晴らしさを肌で感じたのでした。
自分が自信をもって生きている先生方は私たち生徒たちのことも信じてくれていたと感じています。おかげで文化祭、運動会、修学旅行等の学校行事の企画運営は、かなりの部分が生徒たちに任されていました。その企画運営をする過程で、高校生らしい友達との摩擦もありながら、仲間とともに一つのことを作り上げる素晴らしさを体験しました。それを通じて築いた絆は今でも続き、そして一生涯続いていくことと思います。
良き師、最高の友を得ることができた慶應女子高は本当に最高の学校です。 そんな話をランチタイムに会社の人にしたところ「僕の高校も自由で楽しくて最高でした」と力説されました。
私の母校自慢話に対抗する人がいるとは、世の中にはほかにも良い学校があるのだと認めつつも、やっぱり私には慶應女子高が最高!
今日も会社のランチタイムにはお国自慢ならぬ母校自慢合戦をしています。(2012年3月)

ページトップへ